自由

 これについてしばらく真剣に考えようか。尾崎豊も言ってる。
「自由っていったい何だい?どうすりゃ自由になるかい?」
 この詩はちょっと逆説的でもある。そもそも自由が何なのか分からない者が、第3者に向けてさらに「どうすりゃ自由になるか」を問うている。一聴すると、歌い手(つまり尾崎)は自由について確固たる定義を持っているかの如く自由について歌っているが、相手に自由になる方法を問う前に自分で「自由」とは何なのか理解していないことを宣言しているのだ。
 これは尾崎が18,9歳の頃の歌なので、その年齢特有のモヤモヤした不安感、焦燥感を表す方法としては、かなり独創的で的を射た表現ではないだろうか。
 自由とは、今の私の最もシンプルなイメージで表現すると(かなり酩酊度は高いのでご容赦を)、
「何ものにも束縛されていない状態」
であるといえる。(酔いが醒めてからこれを見た自分はどう思うだろうか)


 ネットでちょっと「自由」について検索して、J・S・ミルの「自由論」(自由之理)の中の一説で共感というか、「自由について」以外の事柄で、同じような事を考えたなあという部分をちょっと私的なメモ代わりに、コピペプラス自分の考えを書こう。
 「言論の自由についても、ミルは一章をあてて、それがいかに大切であるかを詳細に論じている(第ニ章)。彼が言うには独善に陥らない最善の方法こそ、言論の自由である。反論される機会を作っておくことは、自分の考えの正しさを担保する唯一の手段であるというのである。逆に、言論の自由を奪うことは、自分の意見の正しさを絶対視することにつながり、それは結局は自分自身の失敗につながると言う。」
この文章の掲載されていたページの見出しには「自由とは人に迷惑をかけないことだと言ったJ.S.ミル」となっていたが、そうじゃないだろうと思った。「人に迷惑をかけない」ことは大事だが、そこが「自由」の核心ではないだろう。「自由」の核心はあくまで「束縛されない状態」であり、決して「無秩序」だったり、「独善」を肯定するものではないということじゃないのかな。
 もちろんこれも、「言論の自由」であるから、「反論される機会」をこうして作っておこう。(自分自身から反論されそうだ)