たまたま

新明解を読んでたら、ずうずう弁の項で「東北地方と出雲地方」と書いてあって、
「あれ!?東北は分かるけど出雲もそうなの?似てる方言ってのは柳田邦男の蝸牛考で説明されるように、京都から波紋のように流行語が時を経て遠くに伝わっていくのを考えれば不思議じゃないけれど、東北地方という大きな括りに比べて「出雲」は小さすぎるし、もし「出雲」に有るなら、鹿児島とか宮崎辺りにもあっておかしくないし、また現在わかっているのがその2つの地方だとしても、後ろに「など」をつけて断定を避けたほうがいいのでは?」
と不可解に感じたが、ぐぐって見たら、どうも松本清張の「砂の器」にこれが重要な謎を解く鍵として使用されているらしい。丁度今、スマップの中居君が主演しているドラマである。「白い巨塔」は見ているが「砂の器」は見ていなかった。しかしすごいタイミングで新明解の何万と収録された単語から「ずうずう弁」を拾い出したものだ。
それだけで、すごい偶然かと思ったら、丁度この話題について、今日のスマステーションで取り上げてた。なんか、昔からよくこういうのあるんだよなあ。何か見えない力が働いているような気がする。しかしこの事象に、どんな意味を読み取ればいいのか、いまいち分からない。