竹島問題メモ

・1905年2月22日

   明治政府島根県竹島を編入。

   島根県告示第40号、その直前1月28日閣議決定

 

黄 王玄(←一文字)

황현(日韓併合に反対し、抗議の自殺)

自著「梅泉野録」で「竹島が日本に奪われたという認識」

それまでは所謂「無人島」

江戸時代頃からアシカ猟の基地として利用

 

1906年5月9日

   韓国の「皇城新聞」が、「日本人が独島(竹島)は日本の領地となったと言って鬱陵島に来到した」と報道。

   その記事を前述「梅泉野録」に引用。しかし、この時公式に韓国政府が講義した事実はない。

   その時の韓国政府はまだ抗議できた。外交権を奪ったのは1905年11月17日の日韓保護条約(乙巳條約

 

以下、持論。

もし日本が本当に領土を奪うつもりで竹島を編入したのならば、なぜ「鬱陵島」も奪わなかったのか?人が居たから?鬱陵島は1417年~18xx年まで空島政策をとっていたはずだが。

また、なぜその5年後に韓国を結局併合してしまうのに、小さな無人島だけをこっそり(実際は上記の通り、公示されて、新聞記事にもなった。鬱陵島の住民に報告もあったとのこと。)編入する必要があるのか?

鬱陵島は歴史的に朝鮮の領土で、竹島は明確に日本の領土だと確信していたから竹島だけを日本の領土と再確認したのでは。

 

竹島重要争点

A.D.512年6月、新羅の智証王のとき、異斯夫(이사부)という武将が攻略して新羅に服属させたのは「于山国(우산국)」・于山国は鬱陵島のこと。ソウルの韓国語学校でもそう教えられた。現在の竹島は含まれない。

竹島鬱陵島の距離は92km。しかも岩山で人は住めない。

何故、韓国人は于山島、于山国を現在の竹島(当時の松島)だと考えるのか?

安龍福(안용복)の証言に論拠。

 しかし、安龍福の発言には嘘や勘違いが多い。于山島を松島だと誤解していた。

 

 

文献:朝鮮の地誌「東国輿地勝覧」1481年